カラオケ上達実践バイブル

意外に知らないカラオケの歴史その2

ではでは前回の続きにまいりましょうね。

 

初期のカラオケボックス、イエローボックスが登場したというお話でしたね。

 

 

そしてこの時代、カラオケ配信方法が「レーザーディスク」形式であったため、

 

ディスクの製作やカラオケ店への配送に時間がかかる問題、

 

さらに曲が増えれば増えるほどディスクの置き場がなくなっていく問題、

 

など、カラオケファンの需要に答えることが、だんだん難しくなってきました。

 

 

そこで、これらの問題を全て解消する画期的なシステムが登場します。

 

それが「通信カラオケ」。

 

今ではすっかりおなじみの形式ですよね。

 

 

これがはじめて登場したのは、たしか1992年ごろ。

 

ゲームメーカーのタイトーさんのX2000という機種でした。

 

当時、高校2年生のナツミには衝撃でしたね〜。

 

 

その頃カラオケで歌うことができた曲は、基本的にシングルリリースされた曲のみ。

 

・・・まあ、一曲一曲をスタジオ演奏して作成していたのだから無理もないですが。。

 

で、通信カラオケにはずっと歌いたかったアルバムの曲がいっぱい入っていました。

 

もう、当時は毎日のように歌いに行きましたね。

 

ナツミが当時好きだった歌手は槇原敬之さん。

 

当時のヒットアルバム「君は僕の宝物」の曲を、片っ端から歌ってました♪

 

 

これまでのカラオケ曲の制作方法は、実際にカラオケ用に演奏を行って録音し、

 

その録音音源をレーザーディスクに焼き付けるという形式でした。

 

 

ところが通信カラオケの場合、カラオケとして「midi」という音楽データを利用します。

 

midiのデータは、演奏を実際に録音したデータと比べてデータサイズが圧倒的に小さく、

 

そのため、カラオケデータを電話回線を通じて送信することが可能となったのです。

 

 

ちなみにこの技術、後に普及するインターネット文化の「走り」だと言われています。

 

日本でインターネットが普及し始めたのは、ちょうどWindows95の発売時期あたり。

 

これは1995年過ぎのお話。

 

その3年も前に、電話回線でデータを送信する技術がカラオケで使われていたのです。

 

・・・と考えるとカラオケファンとして誇らしい気持ちになりませんか(笑)。

 

 

通信カラオケの登場によって、これまでレーザーカラオケの抱えていた問題点、

 

●作成に時間がかかる(実際に演奏をして録音をするため)
●配信に時間がかかる(ディスクを店舗に郵送する必要があるため)
●曲数が増えるとディスクの数が増える

 

がすべて解決してしまいました。

 

 

作成はパソコン上なので演奏環境を用意する必要がありませんし、

 

配信は電話回線による通信なので短時間で済みますし、

 

曲数がいくら増えてもレーザーディスクではないので置き場所は必要ありませんし、

 

・・・もう、いいことずくめですね。

 

 

通信カラオケの時代になると、各メーカーは「配信曲数」を競うようになります。

 

レーザー時代と違って作成・配信にコストがそれほどかからなくなったので、

 

人気アーティストのアルバム曲の全曲配信などをウリにしたりしていました。

 

(今では当たり前の話ですけどね〜)。

 

 

曲数が増え、新曲が早いとなると、カラオケはますます若者の身近な存在に。

 

カラオケブームの最盛期はちょうどこの時期、1990年代半ばと言われていますね。

 

ほんの10年ほど前はスナックのおじさん文化の象徴だったのに、すごい躍進ですよね。

 

 

さて、カラオケ文化が完全に日本中に定着したこの時期。

 

音楽ヒットチャートに、カラオケ文化の影響が出るようになります。

 

つまり、カラオケで歌うと気持ちがよい曲が、ヒットするようになったのです。

 

小室哲哉さんの数々の曲が爆発的に売れたのもこの時期ですね。

 

ナツミも当時、安室奈美恵さんや華原朋美さんの曲を気持ちよく歌っていたものです。

 

 

小室さんの曲は、サビの盛り上がりをしっかり計算して作られていたので、

 

歌い心地がよかったですし、難易度も高くなく歌いやすかったのです。

 

 

・・・え、ハイトーンの曲ばかりで歌うのは難しいっ?

 

な〜んて意見、当時もナツミの周りから聞こえてきましたが、、

 

キーは下げればいいんですよっ。

 

 

実はちょうどこの時期です、ナツミが原曲キー主義を捨てたのは。

 

・・・小室さんの曲を原曲キーで歌えない「あきらめ」がきっかけだったのかも(笑)。

 

 

ここまでが1990年代末のお話。

 

ちなみにナツミは25歳くらいです。

 

宇多田ヒカルさんが14歳で「Automatic」を出してびっくりしていた時期です。

 

 

で、ここからカラオケブームはやや下降線をたどります。

 

この時期になると、インターネットや携帯電話が普及してきたため、

 

人々の娯楽の幅がぐ〜んと広がっていったということも原因のひとつでしょうね。

 

実際、カラオケ店の数もこの時期を境に減り始めていったそうです。。

 

 

さてさて、カラオケ最盛期を過ぎていくこの時期、

 

カラオケ業界はどのように変革しようとしているのか?

 

そしてこの2009年までに、どのようなカラオケ文化が創られていったのか?

 

 

この続きについては、次回をお楽しみにお待ちくださいませ♪

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